「孤独を癒したい」という源泉

幸福、豊かさについて考える。

地位、権力、お金、物、なんでそんなに欲しいの?
知恵、知識、学問、経験、なんでそんなに学び体験するの?
外見、内面、なんでそんなに人から好かれたいの?
歌う、踊る、書く、奏でる、喋る、造る、なんでそんなに表現するの?
家族、仲間、会社、サークル、学校、なんで沢山のコミュニティに属してるの?
愛、ワクワク、野望、目標、なんでそれを求めているの?

あらゆる欲求、欲望、ワクワクを突き詰めて自問自答していくと

「孤独を癒したい」

という源泉に皆、辿り着く。

これは別にネガティブなことじゃない。
そんな浅はかな答えではない。

それに気がついた昔の偉人達は、孤独と必死に向き合おうとして
ニーチェは狂い、
ゴッホは耳を切り落としてしまい、
アインシュタインはスピノザの神を信じた。

昔の偉大な学者達が「幸福について」これだけ悩んで考えてくれたんだから、
今さら多くの現代人がそこで悩まなくてもいいのかもしれない。

だから結論は「孤独を癒せばいい」ってことだ。

そうすると心が充足され豊かになる。人脈を増やすとか量的な話じゃなくて、損得、有利不利、ポジティブネガティブ、利害関係でもなくて、離れていようと心から信頼、愛せる、そいつのためなら全てを投げ捨てられるぐらいの「絆」で結ばれた関係の人が少なからずいれば、それだけで人生が幸福になるって話なんだが。

と言うが実際は難しい。なぜ難しいのか?

「孤独を癒す」 「絆を育む関係」

口で言うのは簡単だが、できてるようで、実際まったくできていない。僕も含めて多くの人が。だって資本主義、物質的価値観の中で生きてるので、あらゆる出来事や関係を損得、有利不利、ポジティブネガティブ、利害関係で比較することが当たり前だから。この概念は生まれてからずっとそう。

「孤独を癒す」「絆を育む関係」ってのを強制的に学ばせようとしてるのが家族という共同体なのかもしれん。なんで血の繋がりがあるのか。なんで男女が存在してるのか。だれが仕組んだんだろうか。世の中は解らないないことだらけだ。

+は-があるから存在し、両方向へ広がるだけ。
それに良い悪いは無く、ただ「空」なんだと。
己は「空」という自覚意識。
一つ次元を上げて考え、感じ、生きれるようになりたい。

2011年5月18日