感動する為に、生まれてきたとする。
感動は喜怒哀楽という心の動き。心の振れ幅。
感動は経験度合いで上下する。
日々の感動を感じなくなることは悪いことじゃない。
それをしっかり身体で覚えてる(経験した)人だから。
それを繰り返していくと、頭なんかで解釈や分解すら出来ない、
生きた感動に出逢う機会が与えられる。
生きた感動に出逢うためには、
誰もがそれぞれ抱えてる弱虫ハートの部分と
いつもどう向き合うかにかかってる。
進み方にどれも間違いは無いが、成長に速い遅いはある。
時間は有限で、死に向かってるのも確か。
だから今という一瞬を誰よりも意識するようになる。
成長を早く重ねた分だけ、心震えるような感動にいくつも出逢える。
自然の道理。
夢も、欲望も、生きてる理由も、楽しむ理由も、頑張る理由も、
行き着くところは、
「感動を求めること」
→自分が求めている心の振れ幅を常に追い求めてることになる。
しかしながら、感動には慣れが生じる。
例えば、仕事でいえば
試行錯誤する、頑張る、努力する(苦しい感動)
↓
結果を出す
↓
多くの賞賛、感謝を浴びる(嬉しい感動)
↓
新たな存在意義を感じる(自尊の感動)
↓
現在の存在意義に慣れる
自分の存在意義を一旦感じて少し経つと感動はまた平坦に戻る。
またそれ以上の大きな存在意義、感動を感じたいと思う。
存在意義と感動を求めて、どんどん大きくなっていく。
それが、生きる原動力となっている。
あなたという一人の人間としての
他者への良い影響力を最大限まで求めていく。
あなたの存在意義を確かめるように。
それは、それは、素敵な旅。
果てしない、人生という旅。
死ぬ間際に、
「悔いのない人生だった」
という「悔いのない」とは
存在意義と感動の経験度合いにあなたが満足したかどうか。
「大切な人たちに見取られて死にたい」
これも、結局は自分の存在意義の確認を意味してる。
最後に、人間にとって、もっとも悔やまれることは、
傷つけられること、悩まされること、孤独になること、
そんなことではない。(これは感動の一面)
「あなたという一人の人間が皆の記憶の中から忘れ去られること」
だから皆、生きた証(存在意義)を刻もうと進む。
あなたの証を刻む、表現方法は何ですか?
悔いのない今を、一瞬を。